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巴原文和英文翻译都贴了吧,有兴趣翻译的可以试试
〝ウォーク・アウト・トゥ・ウィンター〟
空白のまま埋まらない、永遠の物語
小島 秀夫
存在が消えても、言葉が残ることで、それはある種の永遠性を獲得する。それは希望だ。
この本書からの引用文こそが、まさにMGSシリーズの最終作〝METAL GEAR SOLID V : THE PHANTOM PAIN〟のノヴェライゼーションを指すものだと言える。ゲームでしか遺せなかった物語を、終えるしかなかった伝説を、小説でしか表現できない永遠の物語へと、野島一人という作家は昇華させることに成功した。28年間にわたる、ゲームという失われていく存在を、永続性を持った言語で遺してくれた。まさしく負の痛みが伴う訣別を、希望というプラスの感情に変えてくれたのだ。本書を読み終えた際、その思いがけない感動とあまりある感謝の気持ちに胸が熱くなった。それは四半世紀以上、人生をかけて紡いできた物語が終わる寂しさを払拭する、まさに私にとっても希望だったのだ。
ゲームを創っている間も、私はずっと「MGSV」のノヴェライズは絶対に不可能だと思っていた。世界中のどんな作家であろうとも、まずは執筆を断ってくるだろう。書き上げたとしてもゲーム本編とは大きく異なるものになるだろうと。その理由は簡単だ。今回の「MGSV」はこれまでのリニアなレールゲームではなくなったからだ。これまでMGSシリーズが評価されてきたのは、アクションゲームでありながら、映画的、冒険小説風な骨太の物語があるからである。限定空間の中、制限時間が設けられた中で、プレイヤーは創り手が敷いたレールの上をインタラクティブに進む。そして、その制限範囲の中で物語を享受するというストーリーテリング、それがMGSであった。だからこそ、魅力的なノヴェライズも可能だったのだ。
しかし、今回はオープンワールドの概念を利用した「自由潜入」である。プレイヤーは広大なエリアを自由に駆け巡る。時間帯もルートも装備も状況も展開もプレイヤーによって異なる。いや、プレイヤーが好きなようにミッションのクリア内容を組み立てられるのが売り。プレイヤーの自由度こそが最優先だ。この手のオープンワールド系のゲームでストーリーを重視したものはない。しかし、MGSファンはそれでは満足しない。そこを踏襲した上でMGSとしての物語を転がさなければならない。自由度があり、尚且つMGSらしさ、つまり本格的な物語がないといけない。苦肉の策として海外のTVシリーズの構成を参考にした。1ミッションを1話とし、たとえエピソードを数話見逃した(順番を入れ替えた)としても、シリーズとしては大きな流れがプレイヤーに伝わるような構成だ。背景やキャラクター等の詳細設定や伏線は無線やテープに分散して配置。プレイヤーが必要であれば、能動的に伏線を組み立てられるようにした。これまでのように、プレイヤーをレールに載せて、ある関所まで進むと一気にカットシーンで物語を映画的に進めるということはしない。これまでのMGSの売りでもあったカットシーンは自由度を阻害する最も大きな要因となるからだ。それゆえに旧来のノヴェライズの手法は使えない。そもそも自由度の高いゲームでしか面白さがわからないように創られた特殊な物語構成なのだ。それを一級の冒険小説に仕立てなければならない。しかも、ストーリーも世界観も変えずに。そんなことが可能なのか? そして誰がこんな偉業を達成できるというのか?
そこで白羽の矢を立てたのが、覆面作家の野島一人である。彼の才能の片鱗は、デビュー作の『メタルギア ソリッド ピースウォーカー』を読んで貰えばわかるはずだ。「PW」も物語はリニアであったが、ゲームの構成はミッション形式であり、ノヴェライズには不向きだった。にもかかわらず、彼のメタル愛、知識、技量、情熱を注ぎ込んで完成した小説は期待を遥かに超える素晴らしいものだった。そして、続く2作。KADOKAWAから発売中の『メタルギア ソリッド サブスタンスⅠ』と『メタルギア ソリッド サブスタンスⅡ』で、野島一人は作家として開花し、さらなる高みにのぼった。階段を数段駆け上るというレベルではない。この2冊で、彼は別の次元へ突き抜け、一躍バケモノ作家へと変身したのだ。既に両作を読了した方ならわかるはず。正直、「ファンの一人」だった新人作家がここまで成長するとは、私でさえも思いもしなかった。まさかの嬉しい誤算だった。小説『サブスタンス』シリーズは、「MGS1」の「シャドー・モセス事件」と「MGS2」の「マンハッタン沖プラント事件」の物語を繫げた上で、さらに深くMGS世界を補完するというもの。スネークや雷電を登場させつつ、新たな語り部たる主人公を配置、その視点から伝説と現実を見事にカットバックさせ、二つのMGS伝説を新たな読み物に再構成したのだ。まさにあのナチスドイツの史実をフィクションとリアルを繫いで描き大成功したローラン・ビネの名作『HHhH プラハ、1942年』ばりの、驚くべき仕上がりだった。この野島一人なら、「自由潜入」ゲームとして生まれた「MGSV」を、小説としての「MGSV」に仕立て直してくれるに違いない。『サブスタンス』のゲラを読んだ時、私はそう確信した。そして、それは間違いではなかった。「ファンの一人」だったプレイヤーが作家として大成し、失われていく物語を、永遠なるものとして再記述してくれる。このバトンの絆に、創り手であれば誰もが感動せずにはいられないだろう。
人間はパピルスを発明し、印刷技術を発明し、通信手段を発明し、いまやコンピュータ・ネットワークで世界を覆うコミュニケーションを実現しようとしている。だが、それはすべて言語というウイルスが人間を使って実現させたのだ。言語が世界をあまねく覆いつくすために、俺たちに発明をさせた。
まさにメタルギアというゲームが生まれ、その物語が若き「ファンの一人」であった伊藤計劃や野島一人らを作家に押し上げ、そして彼らの言葉によって記された希望が未来に託されている。この摸倣子の継承が運命なのであれば、ファンにむけた私の28年間は決して無駄ではなかったはずだ。
「ファンの一人」によって完成した奇跡ともいえる本書だが、ゲームとの相違もある。ゲームには登場しない小説版だけのオリジナル・キャラが諜報班の一人として登場するのだ。レナード・ルイン。オセロット、カズ、スネークを繫ぐだけではなく、ミッション用にバラバラに配置されたプロットをジグソーパズルのように巧くつなぎ合わせる役割として配置されている。ヒッピーあがりの頭脳派、かつ自称**戦士という物書きは、70年代から80年代のサブカルチャーから世界情勢までを、池上彰ばりにわかり易く解説してくれる。漫画っぽくデフォルメされたキャラが多いMGSにあっては、容姿も名前(廃墟=〝ルイン〟という意味)も少々地味な印象を受けるが、実に小説的な役割と個性で「V」を盛り上げてくれている。後半には涙無くして読めないシーンも登場する。
本作「MGSV」に限らず、MGSはシリーズを通して、ジョージ・オーウェルの『1984年』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』といった近代文学に影響を受けている部分が大きい。その蘊蓄も野島一人は驚くべき洞察力と知識で物語の中に心地よい程度に挿入してくれてもいる。1984年、スティーブ・ジョブズが28歳の若さで発表した個人用コンピュータ〝Mac〟のCM(リドリー・スコットが監督し、まさに『1984年』をパロディにしている)にも言及してくれている。1984年は日本においては、前年に発売されたファミコンが人気を博しつつもあった。全てのデジタル新時代の黎明、その始まりの爆心地〝グラウンド・ゼロズ〟であり、オーウェルが情報統制社会を予測した1984年という年。BIGBOSSを略すると〝BB〟となり、『1984年』の〝ビッグ・ブラザー〟と同じ。さすがにこれは後付だが、野島一人はあくまでも原作者の意図として詳細をパズルの様に補完する。粋な計らいだが、何処かくすぐったい気持ちにもなる。
またこんな記述もある。
いつかレナードが言っていた、マザーベースはエンタープライズ号になるべきだ、と。人種や性別どころか地球人も異星人も問わず、どんな存在も乗せる宇宙船。その発想の源になった捕鯨船ピークォド。行き場を奪われた者たちの天国の外──。
これは私がいつもスタッフを集めては話して聞かせているたとえ話。勿論、「コジプロ」がエンタープライズ号だったが、行き場を奪われた今となっては宇宙船ではなく、捕鯨船の方が当たっているかもしれない。どうやら、野島一人の諜報力はかなりのものらしい。
他にも80年代当時のキプロスやアフガン、アフリカ、世界情勢がエンターテインメントの間にうまく挿入されている。この一冊を読むだけでもかなり世界の歴史や社会情勢に強くなれるはず。ゲームをプレイした方もこれを読めばより深く楽しめるに違いない。
さらに50年間におよぶメタルギア・サーガの要素も混乱しない程度に、丁寧に盛り込まれている。本書が初のメタルギアという人にも十分伝わる仕組みになっているはずだ。本書で興味を持った方はここからゲームや関連小説に入り、サーガを辿り、補完していくのもいいのではないだろうか。
ここからは少しネタバレになるので注意されたい。
本作は仲間や過去を失った者達の物語である。復讐を誓い、失ったものをなんとか取り戻そうとする。しかし、物語が中盤に入ると、取り戻そうとすればする程、彼らはあらゆるものを失っていく。復讐で集った仲間達がひとりまたひとりと去って行く。つまり、復讐の連鎖の果てには何も残らない。本作は「幻肢痛」ではなく、さらに「失う」物語なのだ。また最後のMGSである以上、英雄と伝説を失った読者達が、その後の「幻肢痛」とどう向き合うかの物語でもある。スネーク達を失った読者達がこれからどう生きてゆくのか? その痛みをどうプラスに置き換えていくのか? そこにも本書のポイントがある。伝説も英雄もまた太陽のようなものなのだ。
みんなあんたを真似している。みんながあんたになりたいと思ってる。伝説の傭兵、伝説の英雄、ビッグボスになろうとする者。あるいは、憎悪のスネークとなって復讐の鬼になる者。あんたの真意は関係ない。あんたは太陽だ。直視したら目が潰れる。だがいいか、あんたという太陽は、もう絶対に沈んではならないんだ。どこにいてもいい、いまそこで輝け。そこで世界を照らせ。それがあんたの役目だ。
メタルギアは1987年にゲームとして生まれた。あれから28年、私の中でのメタルギア物語の円環は最新作「MGSV」で閉じることになる。敬愛する作家、デニス・ルヘインが人気シリーズ『私立探偵パトリック&アンジー』で「どんなシリーズでも終わるべきときはあるのだ」と言い放ち、人気絶頂期に自らが幕を引いたように。どんな人気シリーズにも、いつか終わりは来る。しかし、それは決して訣別ではない。触れることはできなくても、その物語を、影響を感じることはできる。物語とは形のないものだ。物理的に無くなったとしても失われることはない。物語も伝説も望む限り、いつまでも続く。輝きはいつまでも消えない。皆の心の中に。「英雄にさよなら」することが〝幻肢痛〟を熾すとは限らない。「英雄にさよなら」することで、失う喜びを空白として永遠に遺すことができるのだ。
生の真実なんてものは、存在しない。真実は語ることでしか伝えられない。しかしそれは〝真実についての物語〟でしかない。だがそれが人の心を動かす。俺たちは太陽に直接触れることはできない。太陽の光を浴びているだけだ。だがそのおかげで俺たちは生きている。あんたは伝説の傭兵としてのビッグボスなんだ。みんなが見ているのは太陽じゃない、その光なんだ。
しかし、実際に「英雄にさよなら」するということはどういうことなのか。
そのひとつの答えさえも野島一人は冒頭に書き込んでいる。第一章「報復」Section1の2にある、病室で〝アズテック・カメラ〟の1983年度発表のアルバム『ハイ・ランド、ハード・レイン』に収録されたシングル・カット曲『ウォーク・アウト・トゥ・ウィンター』が、ラジオから流れてくる描写がある。
はじめて聞く曲だったが、いま流れていた曲の中に、誰か──それはノイズのせいで聞こえなかった──の顔が壁から剝がれ落ちて、でもそこに張るものはない、というような意味の詞が歌われていたのだ。
文中では詳細は書かれていないが、実際の歌詞を読むと合点がいく。
「壁から剝がれ落ちて」いるのは、パンクバンド〝ザ・クラッシュ〟のボーカル、ジョー・ストラマーのポスターである。そもそもロックは若者のための音楽だったが、それはやがて高度で難解なものとなってしまった。そのことへの反発として生まれたのが、パンク・ロックだった。ザ・クラッシュはそんなパンクバンドのなかでも、最も支持されたグループのひとつだ。アズテック・カメラの中心メンバーで、楽曲の作詞作曲をてがけたロディ・フレイムは1964年生まれ。彼にとってもストラマーと彼らの奏でる音楽は英雄だったはずだ。
しかしその英雄のポスターは、壁から剝がれ落ちてしまった。そのあとに張るものはない。空白である。
この曲を発表したとき、ロディ・フレイムは19歳だった。きっと彼にとって、パンク・ロックはすでに自分たちの音楽ではなくなっていたのだ。これはそれまでの閉じた(流行のパンク)世界から、新しい音楽へと飛びだそうとする、英雄の志を継いで、今度は自分が英雄になる決意の歌なのだ。そしてのちに、彼らの楽曲はネオアコースティックと呼ばれる新しいジャンルを形成することになる。
しかしこの曲を創ったとき、彼らの目の前には空白しかなかった。彼らが歩きだそうとするのは、凍てつく冬なのだ。それでも冬の寒さへ、空白へと向かう。
空白であるが、埋まらない。その空白に英雄はいつもいる。空白があるから先に進める。この空白こそが「Ⅴ」なのだ。
『メタルギア ソリッド サブスタンスI シャドー・モセス』は、2015年8月25日発売。
『メタルギア ソリッド サブスタンスⅡ マンハッタン』は、同9月25日発売。
Walk Out to Winter
Left a blank space, the story of eternity
Hideo Kojima
Language remains even if existence vanishes. That is some kind of eternalness one obtains. That is my hope.
I am certainly able to say for sure that the lines from this book point to the novelization of the latest work in the MGS series "Metal Gear Solid V: The Phantom Pain". The author Hitori Nojima has succeeded in the sublimation of the story of eternity, which can only be set in games, a legend that had no choice but to end, with expressions only possible in novels. Covering a range of 28 years, through language that holds a sense of eternity, we have been left with an existence that lose called games. Certainly, he has taken a farewell coupled with a negative ache, and changed it into a positive feeling called hope. The moment I finished reading this book, an unexpected deep emotion along with a sensation of abundant gratitude welled up in my chest. More than a quarter century, the sadness of a story ending that came to be created by staking one's life is swept away, that to me had certainly been a great hope.
Even during the time I was creating the game, I thought the novelization of "MGSV" was impossible. No matter what kind of authors in the world there are, they would probably reject writing it. Even assuming they did finish writing it, there would probably be big differences from the game. The reason for that is simple. It's because this time, "MGSV" was not a linear, on-rails game like before. Because the games rated before in the MGS series were cinematic action games, heavily framed adventure stories. Within a limited time frame, the player advances on interactive rails laid down by the creators. Thus, reception of a tale within the confines of a limited sphere in what we call storytelling. That was MGS. For this reason, fascinating novelizations were possible.
However, this time a "free sneaking" open-world idea was used. The player freely runs about a vast area. The timeframe, route, equipment, situation, and development is all different depending on the player. No, the player can clear the mission content any way he or she likes is the selling point.
But, the MGS fans will not be satisfied with that. They follow there, and MGS as a story, and absolutely must turn it over. There is a degree of freedom, furthermore a MGSness, that is to say there has to be a genuine story. As a last resort, I referred to the organization of TV series. One mission as one story, for example, even missing several episodes (playing out of order), as a series it is similar to the large flow of events being transmitted to the player. The background and character's detailed establishments and foreshadowing was dispersed and arranged into tapes and codec calls. If necessary to the player, it was made so he or she could actively put together the underplot. The player would not be put on a rail and be able to progress the cinematic story by watching cut scenes all in one gulp after passing a certain point like before. This is because even though the cut scenes has been a selling point before, it has become the main source of the obstruction of freedom. And so, the traditional method of novelization cannot be used. From the beginning it was made to be a unique special composition that could only be understood in a high freedom game. That is what must be tailored into a first-class adventure novel. Furthermore, without the story or world view changing. Is that kind of thing possible? And who could even achieve such a great enterprise?
So, out of all the choices, the one picked was the mysterious unknown writer Hitori Nojima. If you read his debut work “Metal Gear Solid: Peace Walker”, anyone is expected to grasp a glimpse of his ability. Peace Walker’s story is also linear but, the game’s composition is in mission form, and was not fit for novelization. Nevertheless, the poured his knowledge, talent, passion, and love of Metal Gear into the novel, a magnificent thing which far surpassed expectations. And then to continue with 2 works. Hitori Nojima as an author, now on sale from the publisher Kadokawa, bloomed the “Metal Gear Solid Substance” and “Metal Gear Solid Substance 2”, and climbed even higher. It’s not to say a level where he ran up several sets of stairs. With these two books, he pierced through another dimension, and suddenly transformed into a monster of a writer. No doubt those who already read them understand. Honestly, not even I ever thought the new author “the fan Hitori”, would make it this far. Truly it was a happy miscalculation. The substance series is, a story that connects MGS’s “Shadow Moses Incident” and MGS2’s “Big Shell Incident”, and greatly supplements the Metal Gear world. As long as it’s Hitori Nojima, there’s no doubt he could take the MGSV game born as a “free sneaking” and make it over as the novel MGSV. The moment I read Substance’s galley proof, I was convinced. And thus, there was no mistake. “The fan Hitori”, once a player now as a writer, has taken a story of loss and rewritten it as a thing of immortality. There could probably not exist a person who would not be deeply moved by this baton’s connection.
Humans invented papyrus, invented printing technique, invented means of communication, even now we are trying to implement communication that covers the whole world with computer networking. However, all of that is by the virus we call language, using humans and making us implement it. For the purpose of covering the whole world far and wide, language made us invent it.
As the game called Metal Gear was born, the young fans Project Itoh and Hitori Nojima uplifted into novelists, and thus by means of their words, entrusted their futures to their written down hopes. If it’s the case that these copy cat’s succession is fate, then these 28 years of me facing the fans is supposed to not have been in vain.
You could say the book completed by “The fan Hitori” is a miracle, but there are still discrepancies with the game. There is an intel agent which makes an appearance in the book that does not appear in the game. Leonard Ruin. His role beautifully connects not only Ocelot, Kaz, and S***, but also the jigsaw plot that was placed for the use of missions. An intellectual hippy, yet self-proclaimed revolutionary warrior that is called a writer, from the 70’s to the 80’s sub***ure and as far as the state of the world, like Akira Ikegami, has explained it in a way that is easy to understand. While the anime-like deformed characters of MGS are plentiful, his name and appearance (Ruin = ruins) might not leave much of an impression but, with his novel-like role and individuality, he really livens up “V”. In the second half, there are even scenes I can’t read without tears.
Not just limited to the novel “MGSV”, throughout the series of MGS, George Orwells’s “1984”, Herman Melville’s “Moby Dick”, William Golding’s “Lord of the Flies”, and Joseph Conrad’s “The Heart of Darkness” have been a big influence. Hitori Nojima has with astonishing insight and knowledge, pleasantly inserted that great erudition into the middle of the story. In 1984, Steve Jobs at his young age of 28, unveiled the commercial for Mac PC (directed by Ridley Scott, certainly a parody of “1984”) which is also referenced. In 1984 in Japan, the Famicon (NES) that was presented the previous year had also gained popularity. All of it was the dawn of a new digital age, the beginning of that explosion “ground zeroes”, the same year that Orwell predicted the information controlled society. If we abbreviate BIGBOSS, it becomes “BB”, the same as 1984’s “Big Brother”. Still this is after the fact but, Hitori Nojimia as the intention of the original author, thoroughly supplemented the details like a puzzle.
Still there is this kind of description.
As Leonard always says, the motherbase should become the Enterprise. Regardless of race, sex, earthling, or alien from another planet, any kind of existence can ride on the spaceship. The source of that idea was the whaling ship “Pequod”. For those who have no place to go, it’s their Outer Heaven.
This is an allegory for when I gather the staff and have them listen. Of course “Kojima Productions” was the Enterprise but, now as we have no place to go, is not a spaceship, but maybe a whaling ship would be more correct. Somehow or another, Hitori Nojima’s strength of secret intel appears to be quite a thing.
In addition to Cyprus, Afghanistan, and Africa at that time in the 80’s, world affairs were inserted into the middle of the entertainment. Just reading this book one is supposed to be able to learn quite a bit about the world’s history and social conditions. There is no doubt that the players who played the game will deeply enjoy this even more.
Furthermore, the components that span 50 years in the Metal Gear saga were carefully incorporated. It is a structured in a way that will get across to even those who are reading this book as their first Metal Gear. Those who have interest in the book, wouldn’t it be great to play the games and read connected novels, follow the saga with things that complement the series?
From here on there are going to be some spoilers so I want you to be careful.
This work is a story about people who have lost their companions and their past. They vow revenge, and try to take back the things they’ve lost. But, as the story enters the middle stage, the more they try to take back, the more they lose everything. Those who assembled for revenge are lost one by one. That is to say, by the chain of revenge, in the end nothing is left. This work is not a “phantom pain”, but is a story of “loss”. More than the final MGS, it is a story about how readers who have lost their heroes and legends, afterwards how they face their “phantom pains”. Readers who have parted with s***, from now on how will they live? How will they replace this pain with a positive? That is also a point in the book. It is like a legend, a hero, even like the sun.
Everyone is copying you. Everyone is thinking they want to become you. A legendary mercenary, a great person of legend, people trying to become Big Boss. Or possibly, to become the S*** of hatred as a demon of revenge. This has nothing to do with your true meaning. You are the sun. If you look straight at it, your eyes are crushed. But listen, you who are called the sun, soon you must absolutely set. Anywhere is fine. Go shine over there now! Illuminate the world over there! That is your role.
Metal Gear was born as a game in 1987. From there 28 years, within me the circle of the Metal Gear story has been closed with the latest release “MGSV”. A respected author, Dennis Lehane with the popular series “Patrick Kenzie & Angela Gennaro” declared that at the peak of his popularity “No matter what kind of series it is, there is a time that it must end”, and he himself closed the curtain. No matter how popular a series is, someday the end will come. However, that is by no means a parting. Even if you can’t touch it, you can feel the influence of that story. A story is a thing without shape. Assuming physically nothing is there, nothing to be lost. As long as stories and legends are desired, they will continue forever. The brilliance will never vanish. It’s in everyone’s heart. It is not always true that saying “goodbye to a hero” ignites a phantom pain. By saying “goodbye to a hero”, you can for eternity leave behind lost joy as a blank space.
The reality of life? Doesn’t exist. Reality can only be conveyed with words. But that is only a “story about reality”. We can’t directly touch the sun. We can only bathe in its light. But thanks to that we are alive. As a legendary mercenary, you are Big Boss. What everyone is looking at is not the sun. It is the light.
But what exactly does it mean to say “goodbye to a hero”?
It is that one answer that Hitori Nojima has written down in the beginning. Chapter 1 “Revenge” in section 1 of 2, there is a depiction of the song “Walk Out to Winter” playing on the radio from Aztec Camera’s 1983 album “high land, hard rain”.
It was the first hearing the song I but, in the middle of all the songs that were playing, somebody’s… due to noise it couldn’t be heard, face peeling off from the wall, but there nothing else to post there, which is something like the meaning of the words that were sung.
The details are not written down, but if you read the lyrics you would give consent.
“Face peeling off from the wall” is from the punk band “The Clash” vocalist, a Joe Strummer poster. From the beginning, rock was supposed to be for younger people, but before long it became diffi*** to understand. As a revolt to that, punk rock was born. Out of all the punk bands, The Clash was one of the most supported. One of the main members of Aztec Camera, Roddy Frame who was born in 1964, handled the compositional songwriting. The music he played along with Strummer was supposedly heroic.
However, that poster of the hero peeled off the wall. Afterwards there is nothing more to post. A blank space.
When that song was first presented, Roddy Frame was 19 years old. Sure for him, punk rock already did not belong to him anymore. That went from up until then a closed world(punk craze), and tried to jump to a new music, inherit the hero’s will, this time I will become the legend and determine the song. And thus later on, it became know that the songs they formed were a new genre called neo acoustic.
But when they were making those songs, all that was before their eyes was a blank space. When they tried to walk, there was a frozen winter. Despite that, face the coldness of winter, go towards the blank space.
There is a blank space, but it will not be filled. In that blank space there is always a hero. Because there is a blank space, you can advance ahead. It is this blank space exactly that is “V”. |
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